「展示」と「保管」の認識

富田林市伏見堂の田中古墳群(6世紀後半から末期)から出土した石棺のふたが、保管・展示されていた市立第二中学校からなくなっていたことがわかった。同校では昨年6月から今年2月にかけ、校舎の建て替え工事をしており、この際に過って廃棄した可能性もあるとみて調べている。

富田林市教委によると、田中古墳群は旧大阪市立博物館が1963年に発掘調査。その後、歴史教材として市立第二中学校の校庭に、石棺のふたの一部(長さ134センチ、幅112センチ、重さ約1トン)が保管・展示されたらしい。しかし出土品とは明示されておらず、「教師たちも重要なものとは認識していなかった」(同校)という。

市教委文化財課が新人職員教育の一環として中学校を訪ねたところ、なくなっていることに気付いたという。同課は「文化財の把握が甘かった。早期に所在をつかみたい」と話している。

asahi.com : 石棺のふた消える 富田林の中学校、過って廃棄か - マイタウン大阪 asahi.com : 石棺のふた消える 富田林の中学校、過って廃棄か - マイタウン大阪

今回の石棺のふたに限らず、遺跡から取り出された出土遺物は、発掘の記録類とともに、文化財保護を所管する部署等で責任をもって保管されなければならないものだし、出土遺物の種別や態様は多岐にわたるんだけど、適正に保管・収蔵しておかなければならないのが正しいあり方。


ということが原理原則なわけですし、出土の瓦、土器など20トン廃棄した香椎市の事件だけでなく、どこの自治体も出土文化財の台帳作成と保管には気をつけているハズなんですけどねぇ。まさか、『露出展示』している石棺をどこかに運んでしまうとは、誰も想像だにしなかったとは思います。

だた、この記事では書かれていない本質的な問題というものがあります。

どのような方法を持って活用とされるのか。
置いてあったのが良くないのか。置いておく場合の管理体制はどのように構築されていたのか。
片付けの判断がどこで行われたか。

じっと手を見る(鶴亀)